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2011年5月

関東大震災

1 浅草のシンボル12階建物

古い特集冊子を神田神保町で見かけました。

当時の画像が参考になればいいです。(日頃からの防災準備が大事です)

大正十二年の東京市の人口は約250万人で安政の約3倍であった。が、

江戸直下地震に比べ関東大震災の死者は約10倍、焼失面積は19倍に

達した。(死者十万人)

安政元年11月4日と同2年は遠州灘と潮岬沖に1日おきに推定M8.4の地震、

  津波は房総から九州東岸に至るまでに襲いかかった。

大正12年9月1日11時58分 M7.9の烈震と同時に約13万戸が全壊。

震源地: 相模湾(関東大震災)

静岡県東部から千葉県南部にわたって、地すべり、津波、列車転覆、火薬爆発

  圧死・・・大量死が荒れ狂った。

東京市の44%の地域が燃え、68000人が死亡した。

横浜も全戸数の68%が燃え死者は23000名に及んだ。

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左画像: 多くの避難民でごったがえしていた午後四時頃・・・ゴォーという音とともに

     真黒い竜巻が襲いかかり、瓦、人間、馬が宙に飛んだ。

     熱風は人々の呼吸を止め、広場は火の海になった。

右上: 日本橋と三越は火の海に。(右は地震前の写真)

   : 下は洋菓子の無残な姿。

   : 下は焼けた蓄音機。

右下左: 死者が持っていた財布。

    : 右はタイプライター。

    : 右は廃墟と化した銀座界隈。

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左上画像: 神田区では10ヵ所から発火、火はニコライ堂を襲う。

中左: 初期は避難民の顔になお余裕があった。

中右: 地割れが走り、その中に人間が落ちた。

左下: 西神田方面、船で逃げた人々の多くは飛火によって焼死した。

右上: 鎌倉の津波、相模湾海底の地殻大変動により伊藤12メートル、

     鎌倉で10メートルの高さであった。

下左: 倒壊した鶴岡八幡宮神楽殿、最初の上下動で鎌倉の家屋はほとんどが

     倒壊した。

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左上: 地震前の十二階と花屋敷。

 中: 浅草花屋敷界隈の猛火、飼育の動物や人間の悲鳴が響いた。

下左: 新吉原の廃墟、洋風の木造はひとたまりもなかった。

下右: 小さな池が630人で埋まり水面を焔がなめた。

右上: 新吉原中之町通の大火、廊内3ヶ所から出火し、自由行動を禁じられた

    遊女たちは吉原公園に逃げたが、火が着物や頭髪に移ったため弁天池

    に次々と飛び込んだ。

下左: 震災前の新吉原。

下右: 震災前の新吉原。

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上画像: 当夜の永代橋、避難民が押し合ううち、荷物と人と橋に火がつき、

      8時頃には人々と共に橋は焼け落ちた。(両側から避難民が押し寄せた)

下左: 小学生が描いた大正12年9月1日夜の燃えさかる東京の市街。

下右: 隅田川は数多くの死体の漂う陰惨な川へと一変した。

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上画像: 東京大震災絵巻の震災後右半分。

   中: 震災前。

   下: 震災後の左半分。

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9月13日現在の災害地図。

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左上画像:  再発火で2日の夜に炎上した上野停車場。

 下: 吾妻橋とサッポロ・ビールの工場の残骸。

 下: 横浜市は、火災にやられてほぼ全滅した。

左下: 「翌日の悲嘆」2日夜はなお炎が絶えず、停電のため提灯が使われた。

     死者は野ざらしのまま。

中央上: 「大震災の印象」有島生馬画、前景は右から朝昼晩となっている。

 下: 立退先を告げるビラ、人々は親類縁者を頼って行った。

 下: 罹災(りさい)した人々は、やがて証明書を持って地方へ行った。

デマ: 9月2日に事実無根のデマが広く流れ、これを事実として警察、内務省

    は取締りを支持した。

    復活した新聞もデマを伝え暴行に拍車をかけた。

    パニックは非現実的な行動へ暴走してしまう。

    今回の大地震でも隠蔽と言われる背景には、パニックにならないように

    配慮された、コントロールがなされていたのでしょうか?

    しかし原子力発電所の爆発が有ったことで、一刻も早く避難をしなければ

    ならなかった避難対象住民には、避難が遅れた事の被曝問題が残ります。

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小さいネジの専門店

Photo ネジ専門店・西川電子部品

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