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2012年4月

根津神社の開花状況

1色鉛筆画、

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泣くもんか

1_2 色鉛筆画、

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新年度スタート、失敗ばっかりで良い事が無かったように思える。

でも、あきらめてたらまたくりかえしてしまう。

泣くもんか、今年は頑張ってみるあきらめないで努力してみる。

どんなに辛くてもあきらめないで、希望につなげようと思う。

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東京 さくら満開

Photo 色鉛筆画

東京は桜が満開になりました。

日曜日は、桜を見ながらぜひ東京へ!

屋根の無いはとバスコース。

浅草を通る水上バス。

浅草の人力車。

上野公園、浅草、東京タワー、スカイツリータワー、千鳥が淵、新宿御苑、六義園、

早稲田の都電わき神田川、皇居東御苑等。

どこも満開なので外を歩きながらの観光がおすすめです。

ちょと寒そうなので、上着を用意すると良さそうです。

写真は2012年4月8日撮影。

1上野公園不忍池、

2屋根なしハトバス、

3スカイツリータワー、

4浅草隅田川沿い、

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ねこ石

Photo_2 色鉛筆画

1ねこ石(製作中)

海に行った時に、丸い石が有ったので手の中でにぎりしめました。

大きさが手におさまる小さな石です。

家に帰って、色鉛筆でねこを描いてみようと描き始めました。

いつも寝てばかりですけど、とても可愛いです。

まだ製作中なので未完成ですニャン!。

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遠山の金さん さくら

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遠山の金さんの墓の近くに染井墓地が有り、桜が沢山見られる。

桜の下側は低くなっており、昔は小川が流れていたようです。

小川の両側が丘になっており、北側は低く見通しが良くなっている。

ここは、植木屋さんが沢山有った所ですが、ここから埼玉に移動しました。(大火による)

ソメイヨシノの桜はここから全国に広がりました。

植木屋さんの庭からは北側が遠くまで見渡せ、植木が見渡せ引き立ちました。

この時代は、庭に植木を植えるのがステイタスだったようです。

桜の脇を外国語大学の学生が沢山通学したところでしたが、現在は外国語大学は

都下の方へ移転しています。

最寄り駅は、山手線巣鴨駅、または都営地下鉄三田線の巣鴨駅。

5_2遠山の金さんの墓

「この桜吹雪、散らせるものなら散らしてみろい!」

「この桜吹雪に見覚えがねえとは言わせねぜ!」

やっぱり桜と言ったら、遠山の金さんでしょうか。

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遠山の金さんと同じ寺の墓地に有ります。

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門の右側に鐘が有るので、見つけやすい。

刺抜き地蔵の北側は中山道(17号線)、野菜市場が有りその西側の小道を入ります。

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場所は遠山の金さんの墓から中山道に出ないで西側に裏道を進みます。

都電の線路を渡った所に、こちらのお寺が有り、門の右側に写真の石碑が有ります。

裏道なので地図で確認しておくといいです。(妙行寺)

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四谷に住む武士・田宮又左右衛門の娘、お岩が浪人の伊右衛門を婿にとったが、

伊右衛門が心変わりして一方的にお岩を離縁したため、お岩が狂乱して行方不明

になったという話がありますが?。

田宮家は現在まで続いており、田宮家に伝わる話としては、お岩は貞女で

夫婦仲も睦まじかったとある。

このことから、田宮家ゆかりの女性の失踪事件が、怪談として改変されたのでは

ないかという考察があるようです。

四谷怪談は、江戸の雑司ヶ谷四谷町(現在の豊島区雑司が谷)が舞台です。

元禄時代の事件で、お岩が伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たすというもの。

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自分の良くなって欲しい所をタオルで洗ってきました。

以前はタワシでゴシゴシ洗っていましたが、傷みが早いのでタオルになりました。

タワシは、前の道の旧中仙道ぞいに西にチョット行ったところで発明された物です。

昔は植木も有名ですが、種屋さんも多かったところです。

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刺抜き地蔵の近所には、観光するところがまだ有りますので、ランニングシューズ

などで運動をかねると良いと思います。

桜は飛鳥山公園と石神井川沿いの桜、六義園の枝垂桜、古河庭園、などがあります。

となりの染井墓地の桜は静かで地元の人たちがシートを広げて花見を楽しんでいます。

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二宮尊徳 さくら

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4月1日桜は咲き始めたばかり!。

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交通は東京メトロ南北線、本駒込が近い。ハイキングをかねて根津神社を見ながら

上野の桜を見てもいいですね。

いい写真が撮れるといいです、桜はこれからが見ごろです。

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多くの学校で見かけましたが、最近は見かけません。

年数の経過による破損が進み、学生に怪我がないよう撤去されているようです。

8二宮尊徳の墓碑、

9 八百屋お七、

お七は以前火事にあって一家がお寺に避難した折り、一人の男と出会い恋をします。

(駒込の正仙院「圓乗寺」、美少年は17歳、お七に一目惚れ、恋文をお七の下女ゆき

に託し、二人は思い思われる仲になったといわれる)(1683年1月25日天和の大火)

新しい我が家に帰ったお七は、男のことが忘れられません。

食事が喉を通らず、日に日にやせ衰えていき、命に代えても合えることだけが

望みでした。

その思いがつのって、もう一度火事が起きたら寺に泊まり会えるかも知れないと思い、

我が家に放火をしたと伝えられています。

火をつけたものの怖くなり自ら火の見櫓に登って半鐘を叩いたという、ボヤ程度で

済んだので奉行も情けをかけようとしました。

お七は16歳になったばかり、奉行が哀れんで15歳以下のものは罪一等を減じる

という規定を思い「お前はまだ15であろう?」と言い含めるように言いましたが、自分は

16であると主張したという。(現代では通常使われている満年齢14歳)

当時は数え年が使われており、生まれた年が1歳としました。

「放火の理由を正直に白状すれば命は助ける」といったが、罪が男に及ぶことを恐れ

お七は狂気をよそおい通す。

男:寺小姓の生田庄之介、寺小姓の吉三もしくは吉三郎、または武士の左兵衛?

吉祥寺で出会った説は、後から井原西鶴が「好色五人女」で書いたものです。

※ 当時は家屋の屋根はかやぶき屋根が多く、火災に弱く放火は大罪でした。

お七の悲しすぎる一途な愛・・・当時の結婚は早かったように思います。

圓乗寺の墓は真ん中の石が、寺の住職が供養のため建てたもの、右側が歌舞伎役者

の岩井半四郎建立、左側は近所の有志が建立したものです。

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東大の西側に有る門前を通過し、赤門方面手前の交番が有る交差点を不忍池側に

下って、途中の坂道に有る、水色の建物脇を入ると竹久夢二美術館があります。

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軽食が有るので、静かに休めます。

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