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二宮尊徳 さくら

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4月1日桜は咲き始めたばかり!。

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交通は東京メトロ南北線、本駒込が近い。ハイキングをかねて根津神社を見ながら

上野の桜を見てもいいですね。

いい写真が撮れるといいです、桜はこれからが見ごろです。

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多くの学校で見かけましたが、最近は見かけません。

年数の経過による破損が進み、学生に怪我がないよう撤去されているようです。

8二宮尊徳の墓碑、

9 八百屋お七、

お七は以前火事にあって一家がお寺に避難した折り、一人の男と出会い恋をします。

(駒込の正仙院「圓乗寺」、美少年は17歳、お七に一目惚れ、恋文をお七の下女ゆき

に託し、二人は思い思われる仲になったといわれる)(1683年1月25日天和の大火)

新しい我が家に帰ったお七は、男のことが忘れられません。

食事が喉を通らず、日に日にやせ衰えていき、命に代えても合えることだけが

望みでした。

その思いがつのって、もう一度火事が起きたら寺に泊まり会えるかも知れないと思い、

我が家に放火をしたと伝えられています。

火をつけたものの怖くなり自ら火の見櫓に登って半鐘を叩いたという、ボヤ程度で

済んだので奉行も情けをかけようとしました。

お七は16歳になったばかり、奉行が哀れんで15歳以下のものは罪一等を減じる

という規定を思い「お前はまだ15であろう?」と言い含めるように言いましたが、自分は

16であると主張したという。(現代では通常使われている満年齢14歳)

当時は数え年が使われており、生まれた年が1歳としました。

「放火の理由を正直に白状すれば命は助ける」といったが、罪が男に及ぶことを恐れ

お七は狂気をよそおい通す。

男:寺小姓の生田庄之介、寺小姓の吉三もしくは吉三郎、または武士の左兵衛?

吉祥寺で出会った説は、後から井原西鶴が「好色五人女」で書いたものです。

※ 当時は家屋の屋根はかやぶき屋根が多く、火災に弱く放火は大罪でした。

お七の悲しすぎる一途な愛・・・当時の結婚は早かったように思います。

圓乗寺の墓は真ん中の石が、寺の住職が供養のため建てたもの、右側が歌舞伎役者

の岩井半四郎建立、左側は近所の有志が建立したものです。

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東大の西側に有る門前を通過し、赤門方面手前の交番が有る交差点を不忍池側に

下って、途中の坂道に有る、水色の建物脇を入ると竹久夢二美術館があります。

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軽食が有るので、静かに休めます。

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